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琉球のきもの 琉球の帯
芭蕉布、花織、琉球紅型、久米島紬、八重山上布、宮古上布・・・と、
沖縄から与那国までの琉球諸島で、今も独自の伝統文化を絶やさずに息づく、
沖縄の伝統染織品の魅力を、ぜひご堪能ください。
芭蕉布、花織、琉球紅型、久米島紬、八重山上布、宮古上布・・・と、沖縄から与那国までの琉球諸島で、
今も独自の伝統文化を絶やさずに息づく、沖縄の伝統染織によって作られた帯をご紹介致します。


 

【 清ら布とは 】

沖縄では「美しい」ということをウチナーグチ(沖縄の方言)で、チュラサン(清らさあり)といい、「清ら布(ちゅらぬぬ)」とは、清らかで美しい布のことを言います。

この「清ら」という言葉は、沖縄最古の歌謡集「おもろさうし」(神に申し上げる、「神の歌」の意味)に登場し、沖縄における美意識は、この清らという言葉に凝縮されていることが、うかがえます。

※天に鳴響む大主  明けもどろの花の 咲い渡り
   あれよ 見れよ 清らよ
※ (繰り返し)
−おもろさうし 7巻379 より−

特に古くは「華やかに美しい、きらきら輝くように美しい」という意味に使われており、王朝文化の美意識を表す言葉として使われていました。

そして、この清ら(ちゅら)という言葉には、優しさ・おおらかさ・明るさなどの「素朴美」の美感も底深く流れているのです。 だからこそ、沖縄・琉球で生まれる芸術品・工芸作品には、この単なる見た目の美しさだけではなく、つくる人の温もりや自然への畏敬の念までが伝わってきて、人の心を揺さぶる美しさを奏でているのでしょう。

芭蕉布、花織、琉球紅型、久米島紬、八重山上布、宮古上布・・・と、沖縄から与那国までの琉球諸島で、今も独自の伝統文化を絶やさずに息づく「清ら布」の魅力を、ぜひご堪能ください。

 

 

【清ら布の歴史】
南国の自然の大地と、人々の心を布に織り出した、美しい琉球の清ら布。
今日、琉球の各地に点在する清ら布たちは、日本の希少な芸術的財産の1つとして、国内外問わず広く賞賛を受け、注目を集めています。

そして人々の心をつかんで離さない清ら布の魅力というのは、これまでに辿ってきた歴史が深く関わっていると言えるでしょう。
ここでは、15世紀から琉球王国として栄えた頃から、さまざまな受苦の時代を経、現代に至るまでの時代背景をもとに、どのようにして清ら布が育まれてきたのか・・・その歴史を、追っていきたいと思います。

■ 1429年〜1879年 琉球王国時代 〜琉球染織文化の盛隆〜
かつて、琉球は中国の明王朝に、琉球王「尚」の姓を贈られた一小王国の王府でした。
この時代、琉球王国は、大国「明」への朝貢貿易や、自国や日本の産物などを、東南アジアへ運ぶ中継貿易が、さかんに行われていたのでした。
その際の物と技術の交換により、絣の技術や絹が伝わり、琉球にさまざまな独自の文化が生まれていったのです。
この頃から、王府の繁栄にともない、優雅な絹の花倉織や花織、色鮮やかな紅型、絣技術などが発達していきました。

■ 1609年 薩摩侵攻 〜人頭税による受苦の歴史〜 ■
1609年に徳川幕府の薩摩軍により侵略され、琉球王国は、薩摩藩を介して江戸幕府にも従属することになりました。
すなわち琉球は、中国と日本の二国に隷属することになったのです。
そしてこの時から、琉球の人々にとって薩摩藩の過酷な収奪による、永い苦難の歴史が始まりました。
1637年に開始された人頭税は、男には米で、女には反物による一律の年貢を納めさせるものでした。この人頭税は琉球の人々を、瞬く間に人々を貧窮と飢餓の生活に追い込んだほど、過酷な重税でした。この人頭税による重税は、あまりにも悲しい悲劇をも生み出しました。
宮古島などの八重山列島には、当時「賦計り石」と呼んだ高さ1.5m程の自然石があり、男女15才になり、この石の高さに達すると、人頭税が課せられたのです。
人が生まれると人頭税を払わなければならない。
新婦は妊娠すると、波濤の激しく行き交う岩と岩の割れ目を、飛び越えなければなりませんでした。
流産をすれば、人頭税の負担を免れるからです。
運良く飛び越せば、人頭税の負担に耐えられる強い子が、生まれることが約束されたのです。
しかし、割れ目に落ちれば妊婦の命は絶望的です。たとえ飛び越えられたとしても、着地のショックで流産をすれば、生まれてくる子供ばかりではなく妊婦の命さえ危やうい・・・そのような悲劇をも生んできたのです。

そして、今、私達が手にすることができる、宮古上布や八重山上布を作り出す、優れた手仕事は、王朝時代の過酷な制度のもと、名もない女性達が労苦の結晶として生み出したものであり、上布の白眉とまでうたわれる、八重山や宮古上布の歴史の陰には、そのような多くの女性たちの血を吐くような辛苦があったことを、決して忘れてはならないでしょう。


■1879年 日本国への併合 「沖縄県」を設置 〜近代化による危機〜 ■
1879年、明治政府の「琉球処分」により、琉球王国は政治的に日本に含められ、「沖縄県」の設置とともに、琉球尚王朝と200年以上もの間、人々を苦しめてきた人頭税も廃止されました。

■ 1945年 第二次世界大戦(沖縄戦)〜戦禍を乗り越えて〜 ■
第二次世界大戦の地上戦により、沖縄は焦土と化し、これまで培われてきた琉球の優れた工芸遺産や日常生活品が、すべて無と化してしまいました。

しかし、染織にたずさわる人々の、自分たちの文化を愛する心と魂は、失われていませんでした。
製作道具や原材料の乏しい中、情熱と不屈の努力により、見事にこれを甦らせたのです。
それは、戦争により全てを失い、何もないゼロのところから、琉球紅型の再興に全力を傾けてこられた、城間栄喜氏をはじめ、首里織の大城志津子さん、そして芭蕉布を復元させた平良敏子さんしかり、と言えるでしょう。
そして更に琉球織物は、その独自の伝統を蘇生させ、守らんとする人たちの、真剣な使命感と情熱、ひたむきな手作りへのこだわりにより、さらに独自性を高めていったのでした。

それが今、オートマチックにものを作る合理化・近代化の時代の中にあって、つくる人の魂が息づく、琉球染織ならではの魅力になっているのです。


平良敏子さんの言葉にこのようにあります。
「沖縄は唯一、地上戦を経験し、すべてが戦禍にみまわれ、心のよりどころを一瞬にして奪われました。振り返りますと、楽しいとか苦しいとか、じっくり考える余裕のない中、伝承されてきた技を絶やすことなく、織には織る人の心を、染には染める人の心を「布」に託し、ひたすらに手仕事を続けてまいりました。(中略)人間の尊厳としての『もの』を創造する希望と喜びを与えてくれたのです。」
このように、琉球にはその時代その時代で、苦難を乗り越えてきた人々の不撓不屈の精神が、染に織に込められ、それこそが今日、芸術的財産として、国内外から称賛される、清ら布を生み育んだのでしょう。

琉球略年賦
年号
時代背景
清ら布の歴史
1429〜尚氏が琉球王国を成立近隣諸国との貿易により、絹の花倉織や花織、色鮮やかな紅型、絣技術などが発達
1609〜薩摩侵攻・人頭税による課税布の上納が人頭税として課せられ、貢納布の厳しい検査が庶民を苦しめたが、それにより品質が向上する
1879日本国への併合「沖縄県」の設置 
1944〜45第二次世界大戦・沖縄戦地上戦により沖縄は廃墟と化し、これまで培ってきた工芸遺産や日常生活品など、すべてが失われた
1972沖縄の本土復帰による再併合戦後、独自の伝統を蘇生させ、守らんとする人たちの、真剣な使命感により、清ら布は見事なまでに蘇った



読谷 花織り

可憐な花柄の内側に秘めたロマンが伝わる 沖縄で生まれた情熱の織物−読谷山花織

1372年、読谷の長浜港から一艘の進貢船、 泰期を中心とする若者達が、琉球王府の王弟として、はじめて中国と交易を行います。これが、琉球王国と中国の歴史をつくる発端となり、これ以降、琉球は大交易時代を開き黄金時代を迎えます。時を同じく東南アジア諸国との南蛮貿易も盛んになり、花織もブータンより交易品と共に花織布が伝来し、独自に織られるようになりました。この織物は、琉球王府の保護のもと、御用布に指定され、王府の士族と読谷の人々以外の着用が禁じられていましたが、明治の中期から衰退し幻の花織となりました。
 600年の歴史をほこる読谷花織は、絶滅寸前に、読谷村の情熱ある有志によって、昭和39年に約90年ぶりに「幻の花織」が復活しました。当初は愛好会から、読谷山花織事業協同組合の組織化に発展し現在は、県指定無形文化財、また通商産業大臣指定伝統的工芸品として全国に広く知られるようになりました。
◆読谷山花織
直線と曲線と巧妙に組み合わせた美しい幾何学模様の配列は、沖縄の織物の中でも異色のものです。
読谷山花織は、紋織の一種で浮織ともいわれています。
幾何学模様を色糸で浮せ、それに絣をあしらった着尺・帯地・テーブルセンター・ミンサー帯などがあります。
花織の技法は、花綜絖で模様を浮かせる緯綜絖花織・経綜絖花織・両面使用できる両面花織、手綜絖で織りながら色糸をさしていく手花織の4通りの方法があります。
読谷花織には、着尺地をはじめ、帯地、ティサージ(手巾)、テーブルセンター、ネクタイなどがあります。
ティサージは手拭いのことをいいます。でもここでいうティサージは、普通の手拭いと違って、女性が方や髪にかける装飾的なものです。それだけに、美しい色糸を使って花織にしました。
このティサージは“ウミナイ・ティサージ”(祈りの手巾)とか“ウムイヌティサージ”(想いの手巾)と呼ばれていました。ウミナイ・ティサージは、旅へ出る肉親や、愛する人へ無事安全を祈って織られ、ウムイヌ・ティサージは自分の意中の人のために、想いを込めて織り上げ贈ったものです。
娘たちは一反の着尺の最後に、ティサージを織れるだけの余裕を経糸にもたせて機にかけたといわれます。

読谷山花織の紹介
◇ 染め ◇
可憐な花柄は、フクギやヤマモモの黄色、テカチやグールの茶色、緑色は琉球藍と黄色染料の重ね染めで染められ、草木染を用いて表します。
深みのある紺の地は琉球藍で染められています。
染めは、染料を煎じたもので何回もくり返し染め、独特な色合いを出します。
◇ 織り ◇
紺又は白地の上に赤、着、緑などの多彩な色糸でジンバナ(銭花)カジマヤー(風車)オージバナ(扇花)の三つの基本花とする三十種余の幾何学模様の花柄を織り、これに絣や縞、格子の加わった模様も多い。
◇ 原材料 ◇
読谷花織に使われる糸は、綿や絹などの天然素材を使います。






久米島 紬
古くから琉球の粋を集められたとされてきた、美しき島

沖縄本島の那覇から西へ約100km(空路約25分、航路約2.5〜4時間)と比較的アクセスのしやすい位置にあるこの島は、隆起珊瑚礁と沖縄の島々の中では珍しい火山岩によって形作られた島です。その地形は変化に富み、周囲約48kmのエリアに、白い砂浜はもちろん、常緑樹に彩られた山々や森林、河川、湖沼、そこに棲む固有の動植物といった自然環境が豊かに残されています。そしてこの島に暮らす人々の持つ伝統や文化も古い時代の沖縄を色濃く伝えており、久米島は沖縄のエッセンスが凝縮された島だといえます。
◆久米島紬
泥染による深い黒褐色の渋い色合いと、南国の香りを思わせる独特の絣模様が、独特の魅力を醸し出す久米島紬。
沖縄の琉球絣の原型とも言われる久米島紬は、ふんわりとした豊かな風合い、すべて天然素材からなる柔らかな色が魅力です。
15世紀中頃、日本ではじめて中国から絹織物の技術が伝わり、養蚕が行われていたこともあり、紬の里と呼ばれていたそうです。
17世紀中頃からは、織物を貢納布として収める人頭税がしかれたため、久米島の女性たちは200年以上にもわたりこの重税に苦しめられながらも、上質の織物を生み出す技術を磨いていったのでした。
それが現在の久米島紬の原型となっております。
人頭税、太平洋戦争等と様々な苦難の歴史にあいながらも、久米島紬は500年間にわたって伝わる、古来の伝統的技法を今も守り続けています。
それは、染色には科学染料を一切使用せず、グールやティカチ(車輪梅)、泥染という久米島紬特有の美しい黒褐色を生み出す色を、すべて島内の自然を利用して染め出し、これを手作業で織に生かしていくことです。
そして自然の力を借りながら一人の織り手が、意匠、糸括り、染料づくり、染め、織り、砧打ち、とすべての工程を一人の生産者が手掛ける、“分業しないこと”も、久米島紬の特長と言えるでしょう。
本年2004年7月16日、久米島紬が国の重要無形文化財に指定されました。
これは沖縄県内では、「喜如嘉の芭蕉布」「宮古上布」に次ぎ、織物で3番目です。
苦難の歴史の中にありながらも、久米島の先人たちが伝統技術を大切に守り貫いてきた、久米島紬への熱き想いの結晶によるものと言えるでしょう。

久米島紬の製造工程
1.真綿つむぎ
久米島紬は、蚕から取った真綿から糸をつむぐことから始まる。「マヌカキ」に真綿をかけ、指先で糸をつむぎ出す。根気のいる作業だが、今でも、この伝統の技法で糸はつむがれている。
2.染め
草木染め

染色は久米島に自生する様々な植物を使って行われる。フクギ、テカチ、ヤマモモ、グールーなどの素材を煮詰めて純朴で風合いのある様々な染料を作り出す。

泥染め

植物を煮こんで作った染料で糸を染め上げ、さらに泥染めすることで、泥の中の鉄分とテカチのタンニンが結合して久米島紬の独特な色に発色させる。
3.糸干し
久米島観で最も重要なのは、泥染めをくり返し行うこと。 泥染め一洗い一乾燥の工程を数 十回から100回もくり返す。そう することで深みのある色の反物 ができあがる。
4.製織
久米島紬は、すべて手織りである。 時間をかけて織りあげるその技 法が、美しい模様と伝統の深みを感じさせる。真謝、宇根、宇江城が 盛んで、自宅で機織りをする姿を 多く見ることができる。

5.キヌタ打ち
織りあげた反物を幾重にも折り、 綿布に包んで大きな杵で叩く。幾度となく叩くことで、織目を均一 にし、織物の光沢がひときわ極立つ。 久米島細の風合いは、こうして生 まれる。






与那国 花織り
古くから琉球の粋を集められたとされてきた、美しき島

よく晴れた日には、うっすらと台湾の島影が望めるという、日本最西端の国境の島−与那国島。
久部良[くぶら]港のカジキマグロ漁や、アルコール度数の高い花酒などが有名。
また、この島でしか見られない天然記念物にも指定されている世界最大の与那国蚕(よなぐにさん)をはじめ、ポニーよりも小柄な与那国馬(よなぐにうま)など、貴重な動植物が生息しています。
近年ではフィッシング・スポーツや、海底に広がる壮大な景観の存在が話題を呼んでいます。
◆与那国花織
日本列島最西端に位置し、晴れれば台湾が見えるといわれる島“与那国島”。
南国の豊かな風土に包まれたこの地で、人々は島に自生する様々な植物で糸を染め、島の色を表現してきました。
与那国の織物は「星布」とも呼ばれ、星のように輝く花紋様を織に表現した、与那国花織が有名です。
島では約500年も昔に織りの技術が伝えられ、独自の染織文化と伝統が形成されていきました。
琉球王朝時代には「人頭税」と呼ばれる、織物を貢納布として献上する制度がしかれたため、厳しい監視の下、より上質な花織織物が求められるようになりました。
これにより、与那国織物は役人や身分の高い者だけに着用が許される、貴重で高貴な織物となっていったのです。
現在でも与那国島では、染料はすべて島に自生する植物染料を用い、染色から織まですべての工程を一人の職人が最後までやり遂げるという、手織り・草木染の伝統を、忠実に守りながら作品が生み出されているため、年間約70反前後しか生産されていないそうです。
こちらのコーナーでは、南国の自然の恵みを受け織り上げられた、星のように輝く与那国織物をご紹介いたします。
◇植物染料の宝庫 与那国島◇
与那国島の織物は与那国島に生息する植物を使って染め上げられています。

エー (リュウキュウアイ)

ムンヌク、ムンヌグ (ヤマモモ)

アカリファ

サカイ、サンカイ (ガジュマル)

フグン (フクギ)
◇ ドタティ(与那国ドゥタティ) ◇
島の人たちが愛用していた普段着は、黒衿をつけ筒袖にして裾を短く仕立てるドタティと呼ばれるものです。
与那国の方言で4つのことを「ドゥチ」と言うことから「ドゥ・タティ」とは4枚の「身ごろ」で仕立てた着物と言う意味です。
タテに綿糸ヨコに芋麻糸または芭蕉糸を織り込んだ平織りのグンボー(交織布)が多く使用されました。
ドタディには「グバン(基盤)・ドタティ」、「フデリ(絣が入った)・ドタティ」、「花織・ドタティ」などの種類があり、琉球王府時代には、身分によって着用が区別されていました。
現在では、「ドタティ」はグバン(基盤)・ドタティの一般名称とされています。
◇与那国花織地機◇
機を織っている方が着ていらっしゃるのは、与那国に伝わるドタディ(普段着)です。
熟練の織り子さんで一日に4〜6時間の作業で約20cm程度しか織れません。
一反織り上がるまで気の遠くなるような仕事です。
◇ シダディ(与那国ティサージ) ◇

与那国シダリにはいろいろな呼び方があり、めずらしい織物の一つである。
たとえば、板花シダリ、板花手巾、ウナイ手巾、ウムイヌ手巾、花織手巾などである。

「板」の地が使われている一説に織り上がった反物が板のように硬くなったからといわれている。
ウナイ手巾(ウナイ。ティサージ)は、ウナイ(姉妹)が織った手巾という意味であるが昔ウナイはイキー(兄弟)を守る霊力があると信じられており、島からでる(兄弟)のためにティサージを織って航海を祈願した。
 大海原に浮かぶ断崖の島、与那国の地形を考えると、旅に出ることは決して容易ではない。
想いを手巾に込めて大切な人へ送った織物である。
このような経緯もあってシダリのづ柄の模様には意味がある。
5つ(いつまでも)・7つ(何事も無く平穏に)・9つ(9つの願いがかなえられますように)となっている。
現在では与那国島の祭りの中に生きていて、ドンタ(巻き踊り)には女性が頭に被り、綱引きには男性が腰に下げている。




 
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